〇しかし、令和2年7月4日の熊本大降雨水害で、人吉の町と球磨川流域が洪水で被災しました。この7月で被災から2年、これからは被災から蘇る「人吉の新しいまちづくり」のことをご案内していきます。
人吉市中心市街地複合施設建設についての要望書・請願書
これまでの数回の説明会や懇談会の内容を踏まえて、下記のように人吉の復興まちづくりに向けて、市民の有志の皆様方と、被災した中心市街地に次のような偉人記念館、新図書館を創る構想を考え始めました。
中心市街地に図書館機能を主とした複合施設の設置をお願いします
人吉市長への要望書
“人吉の復興まちづくり”にむけて、被災した人吉のこれからを探る
7月4日で、熊本大降雨水害からこの人吉地域も被災から3年目を迎えました。
月刊「くまがわ春秋」7月号に、被災から3年目「人吉の魅力づくり」の提案を投稿しましたのでご紹介を致します。添付の文面をどうぞご一読下さい。
[人吉の魅力づくり]の提案
以下は人吉のまちづくりへの個人的な提案です:
シリーズその@被災から1年、「人吉の町のこれから」をどう考えますか?
「くまがわ春秋第」64号、2021.7月号掲載
シリーズそのA個人アンケートから被災した人吉のこれからを探る
「くまがわ春秋第」65号、2021.8月号掲載
シリーズそのB人吉の2力を創る2つの提案
「くまがわ春秋第」66号、2021.9月号掲載
シリーズそのC人吉をどんな町にしたいですか?
「くまがわ春秋」67号、2021.9月号掲載
シリーズ@〜Cのまとめ「セメントから木へ、木から人へ」
ご一読を頂き、新しい人吉のまちづくり、まちおこしへの忌憚のないご意見を頂ければ幸いです。
昨年7月の大豪雨水害により、この流域全体が被災しています。
この状況を立て直すための地域づくりの一案として、以下のような、
=球磨川水害被災後の一提案=
「球磨川全域を国立の球磨川流域自然博物館にしたい!」(詳細はこちら)
を提案したいと思います。
同じく7月4日の球磨川水害を受けて、季刊KUMAMOTO雑誌社からの要請で、
同誌12月号の特集“負けんばい人吉・ガンバレ人吉”に投稿した内容をご紹介します。
これは10月18日松本歯科十島研修所(十島文庫)で開催した第12回球磨川アカデミア
のテーマ「寅さん・人吉へ!」の内容です。天草の寅さんと一緒に山江村のボンネットバスに乗って、
参加の皆様方と人吉の街中の被災したいくつかの施設を慰問しました。
“負けんばい人吉・ガンバレ人吉”(詳細はこちら)
写真集「写真アルバム球磨・人吉の昭和」発刊
本年1月末、名古屋の樹林舎から「写真アルバム球磨・人吉の昭和」が発刊されました。
懐かしい昭和の人吉球磨の生活がしっかりと切り取られています。
偶然、当院の前院長(松本三男)の写真があったのには驚きました。
昔の人吉の街はしっかりと賑わっていたのです。
この本では交通関係で写真と解説を担当しています。
「肥薩線」とは、熊本県八代市から鹿児島を結ぶローカル線で、1908年に八代-人吉間の球磨川沿いを走る「川線」が開通、翌年人吉-鹿児島県吉松間の山々を越える「山線」が繋がり全線開通しました。
「川線」は古い木造の駅舎が多数現存し、レトロで趣のある風情を残した情緒溢れる旅が楽しめます。
斜面を力強く走り抜ける「山線」は、日本三大車窓の一つに数えられ、えびの盆地や霧島連山、天候が良ければ桜島までの絶景が望めます。
また昨年から豪華寝台列車「七つ星」の運行が始まっています。
現在人吉市ほかの沿線市町村では、この「肥薩線」を「世界遺産」認定に向けて鋭意、努力中です。
「Discover Japan」誌に紹介された3カ月前の球磨川第一橋 2020.8月
20.7.4球磨川水害で、肥薩線にも多数の被害が出ました。そのことも、この「人吉案内」の「肥薩線」鉄道の中で紹介していきます。
その第1弾として、球磨川の下流、鎌瀬駅そばの球磨川第一橋梁は、橋脚、橋台ともに流失していますが、その橋が現存していた最後の報道紹介が雑誌「Discover Japan」の7月8月合併号に紹介されました。
テーマは“九州は色で旅する”です。
この中で、「赤い遺産」とネーミングして、開通後112年を経たこの鉄橋が紹介されました。
この華麗な赤の鉄橋写真は流失する3カ月半前の3月19日の午前、曇りの時に撮影されたものです。
この歴史の街、人吉も20.74球磨川水害でほぼ市内全域が被災しました。
でも今、洪水被害からしっかりと甦ろうとしています。
流域住民の一人として、この愛する球磨川を再び自然に戻して、昔の球磨川の良さを蘇らせたいと思っています。
詳しくは同誌をご覧下さい。
「球磨川の駅・ものがたり」の発刊から1年
2019年3月22日の人吉観光列車サミットに合せて、肥薩線川線の16駅、くま川鉄道14駅他、31の球磨川の駅を紹介する「球磨川の駅・ものがたり」=肥薩線川線とくま川鉄道の各駅探訪=の初版50部を発刊しました。そしてその改定初版(増ページ)を同年7月14日に発行、8月4日に発売しています。
しかし、本年7月4日の球磨川水害によって肥薩線川線の大半の駅と鉄道路線、第一、第二橋梁。くま川鉄道は一部の鉄道路線と川村駅、そして第四橋梁が被災。これまでの肥薩線とくま川鉄道のその素晴らしい景観が、現実から消失しました。
そこで今後、この本の役割は今回の“20.7.4球磨川水害”被災以前の元気な肥薩線、湯前線の存在をしっかりと語る史料として、よりその出版の意義と役割を増すことになるものと考えます。ぜひ、多くの皆様方が、この本を手に被災以前に存在した二つの路線の価値を味わって頂ければと存じます。
(購入は近くの書店、アマゾン等のネット販売で、なければ当院の受付でも購入可能)
人吉観光列車サミット開催! 2020.3月
松本院長は3月22日の人吉駅観光列車サミット、23日の「観光列車と人吉球磨の未来を考える、夢ディスカッション」を見学、さらに24日くまてつまつり「ワンコインでくま鉄乗り放題」の記録をフォトブックにしたので紹介します。
くま川鉄道の前身は大正13年(1924)に人吉・湯前間に開業した湯前線です。戦後の昭和26年には県下初のジーゼルカーを運行、SL人吉号はここで貨物列車を引く8620型機関車として活躍していました。昭和62年に国鉄からJRに移行、次いで平成元年から第三セクターのくま川鉄道として営業を開始し現在に至っています。このたび26年ぶりに、九州新幹線をデザインした水戸岡鋭治氏が「田園ハーモニー」の新車両をデザインして新しく走り始めました。
1200年前に創建された青井阿蘇神社へは、阿蘇の広大な土地の守り神として祀られた阿蘇神社12神のうちの3神の御分霊が祀られています。
2008年に国宝指定をうけた本殿などの造物は、今から400年前の1610年から4年がかりで造営され、本殿から門まで一連の社殿が同時期に造られたまま現存している全国でも大変珍しい神社です。急勾配の茅葺屋根など、桃山様式を取り入れた多彩な装飾や色彩が特徴で、拝殿横に神供所を配置するレイアウトはこの地域の社寺建築の規範となっています。
人吉城は別名繊月城とも呼ばれ、球磨川を天然の外堀とした見事な規模を誇る城でした。
江戸時代に2度も火災で全焼し再建されましたが、明治時代の西南戦争では西郷隆盛軍の拠点となり、再び全焼しました。幸い焼け残った堀合門が市内の民家に移築され、その姿を残しています。その後城跡は人吉城公園として整備され、櫓や塀などが復元され、2006年日本100名城に選定されました。